ヴィクトリア・ピーク
夜景の名所として知られる。香港では単に「ザ・ピーク」(The Peak、広東語: 山頂)とも呼ばれる。マウント・オ
ースティン (Mount Austin)、あるいは扯旗山とも称される。香港島の西部に位置し、標高は552メートル。香港島
最高峰であるが香港の最高峰ではない(新界の大帽山が957メートルで最高峰)。
ヴィクトリア・ピークの実際の山頂は通信施設などに占められており一般人は入ることができない。しかしその周囲
の山並みにある公園や高級住宅地などが、普通「ザ・ピーク」として知られる部分である。山上からは香港島や九龍
の超高層ビル群やヴィクトリア・ハーバー、周囲の島々などが一望のもとに見渡せる。
19世紀半ばに香港がイギリスの植民地となって以来、西洋人たちが山頂に邸宅を建てて住むようになった。これには
山頂からの眺めが素晴らしかったという理由のほか、香港市街の亜熱帯の蒸し暑さに比べると山頂は幾分涼しく過ご
しやすかったという理由もある。最初は信号所やサナトリウムが建ち、1868年頃に香港の第6代総督リチャード・グ
レイブズ・マクドネル卿が夏の別邸「マウンテン・ロッジ」をヴィクトリア・ピークに建てた。当時、山頂と港とを
往復するイギリス人たちは中国人人夫が担ぐセダン・チェア(sedan chair, 轎子)と呼ばれる輿に乗って険しい山
道を上り下りしており、山頂に住む人はごく限られていた。1874年には山頂へ登りやすい道が開けたため住む者が若
干増え、1870年代から1880年代にかけて40軒ほどの邸宅が建てられていた。しかし、避暑地あるいは邸宅街としての
ヴィクトリア・ピークの開発が本格化するのは1888年にピークトラムというケーブルカーが敷設されてからのことで
あった。
ピークトラム開通後はヴィクトリア・ピークの住宅地に対する需要が増大した。1904年から1930年の間は、山頂部一
帯にヨーロッパ人と各国政府関係者以外の居住を認めない「山頂区保留条例」(Peak Reservation Ordinance)が施
行されていた。これは19世紀末のペストの世界的感染を受け、ヴィクトリア市の中国人の間で蔓延する流行病から身
を守るという健康上の名目があったが、中国人に対する人種的・社会的隔離の側面もあった。この時期は中国人は総
督の特別の許可なくして山頂に入ることはできなかった。トラムも朝の通勤時間は一等乗客(総督ほか山頂住民)専
用で、二等乗客(イギリス軍および香港警察)、三等乗客(その他)は乗ることはできなかった。中国人がヴィクト
リア・ピークに住めるようになったのは1947年のことであった。
戦後の香港でもヴィクトリア・ピーク付近は超高級住宅地となっているが、気候上あるいは健康上の理由ではなくヴ
ィクトリア・ピークの高い社会的地位を求めて住まわれるようになっている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ヴィクトリア・ピークの夜景は絶景だそうです。見に行きたいですね。
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